東京地方裁判所 平成3年(ワ)4587号 判決 1992年10月30日
原告
山口健哉
右訴訟代理人弁護士
森美樹
被告
株式会社インマヌエル
右代表者代表取締役
原勉
右訴訟代理人弁護士
神宮壽雄
同
小名雄一郎
主文
一 被告は、原告に対し、金七五〇万円及びこれに対する平成二年一一月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを二分し、それぞれを各自負担とする。
四 この判決は、一項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一原告の請求
被告は、原告に対し、金一五〇〇万円及びこれに対する平成二年一一月一日(退職日の翌日)から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、被告会社を退職した原告が被告会社に対し退職金の支払を求めた事案である。
一 争いのない事実等
1 原告は、昭和五〇年八月、繊維製品の製造販売を目的とする被告会社との間で雇用契約を締結し、平成二年一〇月三〇日、勤続年数満一五年で被告会社を退職した(雇用契約締結日は被告代表者本人)。原告は、その間、被告会社の営業担当常務取締役の地位にあったが、右同日退任した。
2 被告会社の社則三三条には、従業員の退職金支給について、「正当なる事由により退職したる時は、左記の範囲内において退職金を給与する。但し、二〇年未満勤続者の自己の理由による退職の場合は、左記規定額の五〇パーセントないし七〇パーセントとする。(1ないし3は省略)4 満一〇か年以上勤続者退職当月本棒(ママ)に満に(ママ)よる勤続年数を乗じたる金額」と定められている(この社則が取締役に適用されることについては争いがない。)。
3 原告の退職当月の本棒は、一〇〇万円であった。
二 争点
本件の争点は、原告の退職が被告会社の社則三三条但書の「自己の理由による退職」に該当するか否かである。
三 争点についての当事者の主張
1 原告の主張
(一) 次の事情によれば、原告は、被告会社又は被告会社代表取締役原勉(以下「原勉」という。)の側の事情でやむなく被告会社を退職したものであるから、原告の退職は、社則三三条但書の「自己の理由による退職」には該当しない。
(1) 被告会社の取引先は、そのほぼ一〇〇パーセントが株式会社オンワード樫山(以下「オンワード樫山」という。)であった。原勉は、オンワード樫山の専務取締役との間の個人的な金銭上の紛争を解決するため、平成二年四月二〇日、同取締役に対し、貸金請求訴訟(以下「本件民事訴訟」という。)を提起した。
(2) 原勉は、本件民事訴訟を提起するにあたって、今後オンワード樫山との取引が不可能になることを覚悟し、平成二年六月三〇日、被告会社の廃業を宣言した。
(3) そのため、被告会社は、平成二年九月末決算を目処として取引先との新規商談をすべて停止し、在庫品の販売処理、契約商品のキャンセル等の交渉に入った。このような状況の中で、原告は、右の残務整理の目処がついた平成二年一〇月三〇日、やむなく被告会社を退職した。
(二) したがって、原告の退職金額は、社則三三条本文により本棒月額一〇〇万円に勤続年数である一五を乗じた金一五〇〇万円である。
2 被告の主張
(一) 次の事情よれば、原告の退職は、原勉が本件民事訴訟を提起した結果ではなく、あくまでも自己都合によるものであるから、社則三三条但書の「自己の理由による退職」に該当する。
(1) 被告会社は、生地の専門業者であり、オンワード樫山を取引先として、昭和五七、八年頃には、年商約二三億円の売上を上げるまで発展したが、その後の経済情勢の変化により本業である生地の販売面で大幅な業績の低下をきたした。そこで、原勉は、原告の強い希望を入れて、唯一の取引先であるオンワード樫山と競合する婦人用既製服販売に乗り出し、昭和六三年七月八日、デパートへの販売会社として株式会社オーガストアルボ(以下「オーガストアルボ」という。)を設立した。したがって、原勉と原告は、既に右の段階で、得意先から一転して競争相手となったオンワード樫山との取引関係がいずれ終了することを予測していた。
(2) 原告は、被告会社退職直後の平成二年一二月四日、婦人用既製服販売を目的とする株式会社エロンを設立し、オーガストアルボの従業員三名全員を引き抜いた。そのために、原勉は、オーガストアルボを閉鎖せざるを得なくなった。
(二) したがって、原告の退職金額は、被告会社の社則三三条但書が適用されて、本棒月額一〇〇万円に勤続年数である一五を乗じた一五〇〇万円の五〇パーセントないし七〇パーセントとなるが、具体的な退職金額は、右の範囲内で使用者の裁量によって決定される。
そして、被告会社代表取締役原勉は、原告の退職金として一五〇〇万円の五〇パーセントである七五〇万円を支払うことを表明しているから、原告の退職金額は七五〇万円である。
第三争点に対する判断
一 証拠(<証拠・人証略>)によれば、以下の事実が認められる。
1 原勉は、昭和四九年九月、繊維製品の製造販売を目的とする被告会社を設立し、その代表取締役に就任した。被告会社は、婦人服生地の専門業者であり、販売先はそのほぼ一〇〇パーセントがオンワード樫山であった。
原告は、昭和五〇年八月頃、かねてからの知り合いであった原勉から被告会社に招聘され、営業担当常務取締役に就任した。
2 被告会社とオンワード樫山との間の取引額は、昭和五〇年代中頃は二三億円前後、昭和五六年から五八年頃にかけては一五億円から一八億円で推移したが、五九年以降は減少の一途を辿り、被告会社は、生地の販売だけでは経営が成り立たなくなってきた。そのため、原勉は、昭和六二年、オンワード樫山から勧められたこともあって、従来の生地の販売業務に加えて婦人用既製服の製造・販売に進出した。
3 原勉は、かねてからオンワード樫山を唯一の取引先とすることに経営上の限界を感じていたため、同社を通さずにデパートへ婦人用既製服を販売することを企図し、これを実行したところ、オンワード樫山から二度にわたって苦情を受けた。そこで、原勉は、昭和六三年七月八日、デパートへの婦人用既製服の販売を目的とするオーガストアルポを新たに設立して、原勉が代表取締役、原告が取締役にそれぞれ就任した。その結果、婦人用既製服の製造・販売については、被告会社が製造した婦人用既製服をオーガストアルボを通して販売する体制がとられ、その知識、経験を有する原告が中心となって営業活動を行った。
4 原勉は、オンワード樫山の専務取締役との間の個人的な金銭上の紛争を解決するため、平成二年四月二〇日、同取締役に対し、本件民事訴訟を提起したが、平成二年七月三日、同取締役が原勉に対する債務を認めて和解の席上でこれを支払った、との内容の裁判上の和解が成立した。
5 原告は、平成二年一〇月五日、原勉に対し、退職理由を説明することなく、「私事一身上の都合に依り取締役を辞任致します」と記載された取締役辞任届を提出し、被告会社及びオーガストアルボを退職する旨の意思表示をした。これに対し、原勉は、原告に対し「原告が退職すれば、被告会社はやっていけない。それなら会社は廃業する。」と言った。
6 同日の午後、原勉は、被告会社の顧問税理士である功刀靖介に対し、「たいへんなことになった。今朝、原告が辞表を出した。退職理由の説明を求めたけれどもはっきりしない。原告が退職すると、被告会社もオーガストアルボもたちいかなくなる。本当に困った。」と述べて、相談を持ち掛けた。原勉は、右功刀から廃業発言を撤回するように言われ、原告に対し、電話でその旨を伝えたところ、原告は、従業員を集めて被告会社の廃業を既に伝えた旨答えた。
7 その一週間か一〇日後、午後七、八時頃から翌日午前三時頃まで、原勉と原告は、功刀他一名を交えて原告の退職の件で話し合った。原勉と功刀は、原告に対し、退職を思い止まるよう説得し、かつ退職理由を問い質したが、原告は、退職の意思が固く、退職理由についても「私の仕事は無くなりました。天の声です。」と言うのみであった。そして、その後は、原告の退職に伴う事後処理の話しになった。
8 被告会社及びオーガストアルボは、平成二年当時、被告会社従業員に対する給与の支払いを遅滞したことはなく、平成二年度における上半期及び下半期の賞与も例年通り支払われている。
9 原告は、被告会社退職後の平成二年一二月四日、既製婦人服販売を業とする株式会社エロンを設立した。
他方、原勉は、既製服販売の知識経験を持つ原告が退職したため、オーガストアルボの営業活動を継続することが困難であると判断し、同社を閉鎖したが、同社の従業員三名の退職離職表には「事業主の勧奨による退職」と記載されている。また、被告会社は、現在まで、僅かながら営業活動を継続している。
二 そこで、右認定した事実に基づいて考えてみると、原告は、平成二年一〇月五日、原勉に対し、私事一身上の都合に依り取締役を辞任致します旨記載された辞任届を提出して、原告の側から退職の意思表示をしたこと、これに対し、原勉は、功刀らを交えて原告の慰留に努めたが、原告を翻意させることができなかったこと、原勉は、昭和六二年、売上が減少の一途を辿っていた被告会社の活路を見出すべく、新たに婦人用既製服の製造・販売に進出し、昭和六三年七月以降は被告会社が製造した婦人用既製服をオーガストアルボを通してデパートへ販売する体制がとられ、その知識・経験を有する原告が中心となって営業活動を行っていたこと、オーガストアルボの設立及び本件民事訴訟の提起がいずれもオンワード樫山との取引関係に重大な影響を及ぼしたであろうことは否定できないところであり、取引の継続が困難な状況に立ち至っていたことが窺われるが、それでも、被告会社には、婦人用既製服を製造し、オーガストアルボにこれを供給する仕事が残されていたこと、等の諸事情からすれば、原告が退職の意思表示をした時点で、原勉は原告を継続して雇用する意思をなおも有し、かつ、被告会社には原告が現実に従事するだけの業務があったとみることができる。そうすると、原告の退職は、被告会社又は原勉の側の事情による退職とみるべきではなく、社則三三条但書の「自己の理由による退職」に該当するものと認めるのが相当である。
これに対し、原告は、原勉は本件民事訴訟の提起によりオンワード樫山との取引が停止されることを覚悟して、平成二年六月三〇日に被告会社の廃業を宣言し、平成二年九月末決算を目処として被告会社の残務整理に入ったと主張し、原告本人及び(人証略)はこれに沿う供述をする。しかしながら、原勉と原告が新たに婦人用既製服の製造販売に乗り出した動機事情及び平成二年当時の被告会社の経営状況から考えれば、オンワード樫山の側から実際に取引停止の通告もなく、被告会社の経営もそれほど行き詰まっていない段階で、原勉が被告会社の営業すべての廃業を決意し、これを宣言するというのも不自然である。したがって、原告本人及び(人証略)の右供述は俄に信用することができず、原告の右主張は採用することができない。
なお、原告の退職後、オーガストアルボは閉鎖されて、被告会社も僅かな営業活動を継続するのみであるが、被告代表者本人及び(人証略)によれば、これは、婦人用既製服の製造・販売については、原告の知識、経験に依存していたことから、原勉が被告会社及びオーガストアルボの営業を従前のように継続することは困難であると判断したことによるものと認められるから、右事実は、前記判断を左右するものではない。
三 そうすると、原告の退職金額は、社則三三条但書が適用されて、本棒月額一〇〇万円に勤続年数である一五を乗じた一五〇〇万円の五〇パーセントないし七〇パーセントとなる。
そして、原告に支給されるべき具体的な退職金額は、右の範囲内で使用者の裁量によって決定されるところ、被告代表者本人は、原告の退職金については、右の範囲内で五〇パーセントである旨の供述しているから、原告の退職金は七五〇万円であると認めるのが相当である。
四 以上によれば、原告の請求は、七五〇万円の支払いを求める限度で理由があるから、右の限度でこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 坂本宗一)